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~ あきらめず マイ・ペースで ~

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初診

右のおっぱいにしこりだけではなく、えくぼも確認。

さて、病院に行かなくてはと乳がんについてネットで検索。
何科を受診したら良いのかも知らなかった。

仕事がちょうど決算の書類の提出時期だったので、それが終わってから病院へ行こうと決めた。
どこの病院へ行く?

最初に浮かんだのはスキーで所属しているクラブに検査技師の方がいるので、そこの病院を考えた。
でもその為にはその人達に話すことになる。
地元から近い病院で乳腺専門医がいる病院。
一番近い総合病院の外科に乳腺専門医がいることがわかった。
仕事の都合を考えてもちょうど受診可能な日に外来があってそこに決めた。


夫には病院へ行く前日に会社で胸にしこりがあるから明日病院へ行ってくる。と母にも同じように伝える。


2006年7月5日初診
朝、会社に出社。みんなには一応病院へ行って来ると告げ市内の巡回バスで病院へ。
紹介状もないのでしばらく待つ、一度呼ばれ問診票を渡され記入する。
しばらくすると先にマンモグラフィの撮影をするように言われる。
出来上がった写真を持って外科に戻る。

診察室に入るとカーテン越しに別の受診の方の話が聞こえてくる。
先生の診断は これは乳がんではありませんよ。と
私もそうであったらいいのになぁと思うが、どう考えてもムリそうなのは自分でもわかる。

いよいよ自分の番になってカーテンで仕切られたベッドに上半身脱いで横になり先生を待つ。
カーテン越しに先生の気配、マンモグラフィの画像を見ているようだ。その時間がやけに長く感じる。
カーテンを開け先生と初対面、先生は私の顔を見て、触診しながら 今日は一人で来たのですか? と聞く。
もうここで やっぱり っと思った。
ノギスでしこりの大きさを測っていた。約4cm。
服を着て椅子に座ると、乳がんです。と告げられる。
先生はマンモグラフィの画像を説明してくれた。こういう状態が乳がんの状況だと。
そしてまっすぐ私を見ながら 頑張って治療していきましょう。 と言ってくださった。

その瞬間、私の思考はこの事実を誰かに伝えなければならない事やその事を知って悲しむ人がいるという方向へ跳んだ。
思わず“わっ”と声が出て泣いてしまった。

今日は時間はありますか? と言われ そのままエコー検査へ廻った。
待合い室で順番を待つ間も周りの人になんと伝えるのか・・・ 考えると涙が止まらなくなる。

エコー検査室でも出来るだけ何も考えないようにした。考えると泣けてくるから。
技師の方が交代して もう一度チェックします。 と言われた。
2人目の技師の方は他の技師に説明しながらチェックを入れていく。
どうも他に2人ぐらいいるらしかったが、いい技師に当たって良かったとも思った。

エコーの結果をもって外科の外来にもどる、待っている人はもう誰もいない、先生も席をはずしていた。
先生が戻ってきて診察室へエコーの結果を見せてもらうと見事にA,B,C,Dのどの領域にも腫瘍らしきものが映っている。
1つだけはお水だろうというお話。
今の段階では全摘だと言われる。 セカンドをとっても今の状態で温存を薦める先生はいないでしょう とも。

そこからは検査の予約だ 細胞診・MRI・CT・骨シンチ。
検査が全て終われば月内に手術も可能だと言われる。
どうしても温存希望なら抗がん剤の投薬を先にやるとも
ただし、どの薬が効くのかはわからないから やってみなければわからない
と言われる。

そして 何か乳がんに関する本を読みましたか? との質問
“ネットで少し見たぐらいです” と答えると “勉強してください” と言われた。
この時の私は 何で? って感じでしたが、後々はこの言葉を聞いていて良かったと思いました。

会計を済ませ、一度病院の外へ出る。
携帯から会社へ電話し、夫に変わってもらう。
言葉がすぐに出てこない やっと “やっぱりダメだった、乳がんだって”と伝えると“えっ” しばし沈黙のあと“タクシーで帰って来い”と

後から聞いた話だが・・・なかなか戻らない私を同じフロアー(と言っても2階しかないし、わずか10人ちょっとの会社なのですが・・・)のみんなは心配していたようだ。
そこへ私からの電話を夫はちょうどみんなのところで出たらしく、その様子にただならぬ気配を感じていたようです。
これは私の病気に気づいた子が教えてくれました。

やっと来たタクシーで会社=実家にもどり、まず母親に報告。
父は不在だったがあわてて知らせることもないと連絡もしなかった。

初診・マンモグラフィー・エコー 4,980円


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